コミュ障は言い訳?開き直り?人付き合いが苦手で生きづらい私たち。

      2018/07/30

先日、とあるネット上でこんな書き込みを見かけました。

『「私人見知りだから」って言う人は、自分は人とコミュニュケーションを取ることに対して努力できないから気を遣って下さいと言っているも同然。』

うむむむ、これは波紋が広がるぞ!(私の中で)

この一件に限らず、こう言う意見は数多く見てきました。

私はこのブログで度々コミュ障だと自称していますが、

『コミュ障って言って言い訳しておけば人間関係を努力することなく周りに気を遣ってもらえると思っているんじゃないの?』

そう解釈する人も少なからず居るんだろうな〜( ˘ω˘ )

実際ネットには厳しい意見が大半で、コミュ障を言い訳にするな!とか、自称コミュ障は単なる甘えだ、うざい!とか・・・。(こわE)

言いたいことはとても分かるのですが、ここはひとつ、私はコミュ障で悩んでいる側の意見として語ろうと思います!

 

そもそもコミュ障とは何?

コミュ障(こみゅしょう)とは、コミュニケーション障害の略である。実際に定義される障害としてのコミュニケーション障害とは大きく異なり、他人との他愛もない雑談が非常に苦痛であったり、とても苦手な人のことを指して言われる。

出典ニコニコ大百科/コミュ障

このブログで使用しているコミュ障という言葉の定義は、実際に定義されるコミュニュケーション障害とは違って、言ってしまえばただの性格です。

  • 極度に自意識過剰な人間で、そもそもの人間関係の距離感というものが測れない。
  • 人に嫌われる・否定されることを必要以上に恐れ、自己主張が出来ない。
  • 適切にその場の空気を読むことが出来ず、人の輪に入るとどういう行動を取れば正しいのか分からなくなる。
  • 自己評価が異常に低いため、「人様に迷惑をかけてはいけない」という思考に支配されている。(自分の感情より他人を優先してしまう)

 

上記の通り、様々な要因で人付き合いが困難に感じる、人とコミュニュケーションをうまく取れない人達の総称「コミュ障」。

ただの性格とまとめてしまうには、あまりにも現代社会では生き辛く悩んでいる人は多いと思います。

私のように家庭環境によって生き辛い人格になってしまう人も少なく無いのでは。。

☆機能不全の家庭で育った子供➡︎【生き辛い】アダルトチルドレンな大人たち【家庭環境の闇】

 

コミュ障で本当に困っている人は克服したい意思がある。

まず、人見知りの人もコミュ障の人も、本気で悩んでいる人は既に努力をしています。

気を遣ってもらおうなんて微塵も思ってなんかいなくて、言い訳になんか使いません。

逆です。気を遣い過ぎて疲れているのです。

自分は人見知りだから。自分はコミュ障だから。

だから人一倍頑張って、人の輪の中に入らなきゃいけないんだ。

そう思っています。

頑張って、勇気出して、気を遣って、でも周りと何か違うくて、空回って、うまくいかなくて。

そして、ああ私はなんてコミュ障なんだろうって、自分を責めるんです。

 

なので「私コミュ障なんで〜☆」なテンションでコミュ障を開き直りの手段として使っている人は、分からん。

まあ、軽く自虐なノリで使われることもあるよね。

軽い自虐なのか本気で悩んでいるのかは本人にしか分からん!

 

私はこうしてブログのネタとして色々書いていますが、リアルでコミュ障を理由に開き直ることなんかまずありません。

大抵は人付き合いがうまくいかずに、コミュ障であることに本気で落ち込んでいます。

自分が心底情けなくて枕を濡らす夜もあるし、ああすれば良かった・こう振る舞えば良かったなどと、3日は脳内で反省会をやっています。

そして私の存在なんか誰も気にもしてないであろう中、1人勝手にストレスを溜め込んで、人付き合いに消耗するのです。

開き直っている場合じゃない。出来ることなら、こんな性格なんか早く克服してオサラバしたいんだ!

だってこんなにも毎日が生き辛いんだから。

私が今の接客のバイトを決めた密かな理由としても、コミュ障を少しでも克服できればとの思いがあっての事です。

でもそうやって克服するために人付き合いの場に出向いたところでそう簡単に改善出来るモンじゃなくて

だからみんな悩むし、生きづらいよね(´ω`)

 

 コミュ障でも良いじゃない。人には出来ること・出来ないことがあるよ。

『「私人見知りだから」っていう人は、自分は人とコミュニュケーションを取ることに対して努力できないから気を遣ってくださいね。と言っているも同然。』

これね。ちょっと捉え方にも悪意が感じられるな〜って思うんだけど(汗)

だってそんな意地悪な言い方しなくても良いじゃない〜。

 

仮に、人見知りの人やコミュ障の人の本音がこの言葉通りだとしたって別に良いではないですか?

「あ〜この人は人付き合い苦手なのな。」

で良いじゃないですか。

気を遣うのが嫌なんでしょうか?

努力の姿勢が見えない根性が気にくわないのでしょうか?

あなたの私生活に、もの凄い不利益をこうむっているのでしょうか??

 

人にはそれぞれ出来る事出来ない事があります。

向き不向きがあります。

 

人付き合いが苦手だという人に対して、苦手じゃない人が少し多めに歩み寄ったって良いんじゃない?

 

あなたの苦手なことは誰かが助けてくれるし

誰かが苦手なことはあなたが助けてあげれば良い。

 

そんな世界ってダメですかね。

自分の為にも強くなる事はもちろん必要なんだけど

意識高くばかりいられない時くらい誰にだってあると思うんだけどな。

 

おわりに

大多数の人がこなしている事が出来ないという人に対してすぐに批判しちゃう風潮に現代社会の闇が潜んでると思いませんか?

少数派は受け入れられない。

不登校も、うつ病の人も。

厳しい言葉で人は楽になれるんですかね。

批判、厳しい言葉を投げつける事、自分を責めて痛めつける事、これ全部簡単に出来るんですよね。

優しくする、受け入れる、自分の弱さを認める・・・こちらの方が大変です。勇気が必要です。

悩んでいる人、辛い人が救われる言葉はどちらだと思いますか?

私は「受け入れられる」事で自分を見つめ直す事が出来た経験がたくさんあります。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

それではまた!

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